帰ってきました東京へ♪
今日は暇だなぁ・・・
2011年4月21日木曜日
2011年4月17日日曜日
2011年3月30日水曜日
2011/3/11
その日はいつもと変わらない1日だと思った。 普通に朝起きて、会社に行き、仕事をしていた。ただ、その日はたまたま鋳造棟の避難訓練があった。 13:30に避難放送が流れ、訓練を実施した。 15:00から樹脂溶着の段取りがあったので、 14:30くらいに俺は準備をした後、1Fの通路を歩いていた。 その時でした。 「地震が来ます。10、9、8、・・・」周りに居た人達はみんなこう言ってました。「間違えてまた避難放送流してるよ。」 「・・・3、2、1」っとその時でした。 M9.0の大地震が来たのです!! 「誤報じゃないぞ!!逃げろーーーーーーー!!」「建物からでろーーーーー!!」 みんな血相かえて外に逃げた。 俺も逃げようと走ったけど、真っ直ぐ進めずドアに行くまで大変だった。でも、走ったおかげで、ドアに着いた後に天井が少し崩れて、レンガくらいの大きさの塊が落っこちてきた。あんなの頭に当たったらマジやばかった。 外に避難しても立ってられず、みんなと座り込んでいた。ふと建物を見ると、2Fの渡り廊下が折れそうな感じで激しく揺れていた。水道管も破裂して水が溢れ、自分の股の間で地割れが起きていて、ビックリしてその場から離れた。地割れはどんどん長くなり、10m以上続いていた。 鋳造棟は誤報と思っていたので680℃あるアルミの溶湯が溢れてボヤがあったけど、火事まではいかず、大惨事は免れた。 その後、外に避難してたけど、急に雪が降ってきてみんな恐怖と寒さで震えてました。俺は数人で余震が続く中、防寒着を取りに2Fの事務所に行った。 みんなの分を取ってる途中にも余震があったけど、必死にかき集めて外に逃げました。 とりあえず出社した人はみんな多少の怪我はあったけど無事でした。 その後、帰宅命令があり、みんな足早に帰りました。 俺はいつもの帰り道は大渋滞すると思い、東の山を越えて海岸線の大通り(国道6号)で帰った。 山道に入り、ショートカットしようと思ったら山が崩れて通れなくなっていて、さらに迂回した。別ルートの山道を越えて下りに差し掛かったところで駐車している車が沢山あった。不思議な事に、みんな海岸線を眺めていた。下ってく車は見当たらず、みんな上ってくる車だけ。鈍感な俺はそのまま国道6号に入り家へと北上した。 北上して阿武隈川にかかる橋に到達したところでやっと異変に気付いた。 阿武隈川が今にも氾濫しそうで、橋は一度津波にのみ込まれていたのです。ビショビショの橋を渋滞の中恐怖で怯えながら渡り、命からがら家に着いた。結局30分で帰れる道を3時間かけて帰った。いつもの道で帰った人は5時間くらいかかったみたい。 とりあえず家は無事だったけど、家の中はめちゃくちゃだった。液晶テレビもコンポも食器棚の中身も落ちてた。電気・水道・ガスもストップして、電話もほとんどつながらなかった。 真っ暗な家は危ないと思い、その日は車で寝ました。
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